
秋の紅葉が美しい2017年10月。友人に誘われて、北恵那地域の農家にキウィ狩りのお手伝いにいきました。
この農家さんはお一人でかなり広い面積でお米や果樹などを栽培されていました。北恵那には笠置山がそびえています。
この笠置山を眺めながら、さっそく私たち三人はキウィ畑に向かいました。
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キウィに男木と女木があることを知る
キウィって女木(めぎ)と男木(おぎ)を一緒に植えるのだそうです。知りませんでした。
一本の雄木(男木)を囲むように3~4本の雌木(女木)が植えられていました。
ふふふ。ハーレムみたいですね。
雄木(男木)には実がなりません。ミツバチが働いてくれて受粉して雌木(女木)に実がなるのですね。
都会暮らしの時には、野菜も果物も作り手の顔が見えませんでした。
恵那で暮らすようになってから、生産者の顔がクリアに見えてきました。
どんな風に作物を育てているのか。そのご苦労や手間。受粉を請け負うミツバチさんたちが愛おしく感謝の念も湧いてきます。
生産者の顔を浮かべながら食す
恵那に転居して少しばかりの土地で野菜を作り始めて二年目。自分自身が生産者でもあります。
上手く発芽しなかったり育たないときもあります。
近所の農家の方に色々教えてもらい、見よう見まねで収穫できたときの喜びといったらありません。
思わず誰かにおすそ分けしたい。そんな気持ちも味わうことができました。
この日は、収穫のお手伝いのお礼にと知人が作っている「龍の瞳」というお米を頂きました。
このお米、普通のお米に比して1・5倍ぐらい粒が大きく、もちもちして本当に美味しいのです。
噛むほどにふわっと甘くなります。
ふと、ああ、いつも急いで食べてたな、よく噛んで無かったなと反省しました。
こんな風に噛んで噛んで食すと、おかずもそれほど要らない。
味噌汁や少しの野菜、納豆、糠漬けだけで十分だなあと感じました。
都会暮らしでは気づかなかったこと。たくさんあります。
そう捉えると、生活はますますシンプルになっていきますね。
お米を食べながら、生産者の顔が浮かぶのです。
夏の暑い時期は、草取り大変だったろうなあ。
とか、雨続きの日はどうだったんだろうか。
収穫の喜びはどれほどだったのだろう。など。
お米を食べながら思いを馳せるようになりました。
今までは「お米」という「モノ」「食品」としてしか見ていませんでした。
今ではお米を通して感じているのは、作り手への労いや感謝。
お米に限らず、どれもこれも作られた対象物を真に見るとは、
その奥に愛を感じることなんですね。
龍の瞳の奇跡の物語
龍の瞳。
このお米については、奇跡の物語があるそうです。
こちらです。→龍の瞳を作った方のサイトです。
それによると、今から17年ほど前に作付けしている田の見回りをしているとき。
偶然にもとびぬけて背の高い変わった稲を発見したそうです。
周りの稲よりも籾が大きくのちに新品種として龍の瞳が齎された出来事だったそうです。
帰りがけに、お手伝いに訪ねた農家の一角から見えた景色が心に焼き付いています。
稲刈りあとの田に水が張られた湖面に遠くの紅葉した山が水かがみの様に映っていた風景です。
なんて美しいのでしょう。
心が美しいものを見るゆとりや感謝の念が強く育っているからでしょうか。
肉眼を超えた心の眼でみれば、私たちは、どれほど美しいものに囲まれているのでしょうか。
そう思わずにはいられない秋の日の帰り道でした。2017年秋
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