夫の母。彼女が亡くなって早17年が経ちます。70歳を前にして白血病で逝きました。
義母は生前、和裁の仕事をしていました。頼まれてはずいぶん大勢の方の着物を縫っていたそうです。
組み紐も習いお免状も飾ってありました。自身も着物が好きでたくさん誂えていました。
どれもこれも自分の手で仕上げていたようです。普段着としていつも着物を来ていた姿が浮かびます。
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Contents
着物たちが再び蘇る出会い
義母が亡くなってから帰省する度に残された着物の手入れに時間を割きました。
訪問着から喪服、普段着、羽織など、数えたことはないけれど100着はあったように思います。帯も多数ありました。
それらを和ダンスから出して、陰干しし、防虫剤を入れてまた保管するの繰り返し。これは本当に大変でした。
心をこめた手作り品は簡単に処分はできないですからね。
転居してからは、義妹たちに欲しい着物をもっていってもらいましたが。それでもまだ数着残りました。
「着物なんて着たこともないし」「これからも着ることはないし」そう思っていました。
①箪笥に眠る着物を救う人に出会う
そんなとき。義父が入居している高齢者施設の職員でもあった秋田桃子さんに出会いました。
彼女は名古屋から岩村城下町に移住し旅籠の一角を借りて住んでいます。
高齢者施設に着物と日本髪を結って出勤して、デイサービスに通う高齢者の皆さんと交流していました。
さらに普段着として着物を普及させる活動なども行っていました。
私の娘と一歳ぐらいしか年が違わないのに着物が好きなんだなあ。
当時はそんな風に思っていました。
今年一月、彼女は数年間勤務した高齢者施設を辞することを知りました。
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②紐二本だけで着付ける講座に参加して目から鱗
これからは自分の好きな着物を通して和の心を広めていきたいと日本一ハードルの低い着付け講座を発信し始めていました。
応援してあげたい。そんな軽い気持ちで、彼女を講師に招いて我が家で講座をひらきました。
彼女の着付け講座は、私の想像を超えて「眼から鱗」の様な内容でした。着物とは何か、その歴史。
どうして着物や帯は左から右に纏うのか。宇宙の仕組み、地球の回転と右巻き左巻きの話などどれも興味深かったのです。
さらに、たった紐二本だけで着付ける
一本の帯ひもと伊達じめだけ。帯は締めるものではなく飾り。
講座を通して二割だけ覚えればいい。
とにかく簡単に自分で着てほしい。着物で生活することを体験してほしい。
➂着物を通じて和の心、母の思いに触れる
昔の人々の暮らしや心を着物を着ることで感じて欲しい。
彼女の想い。心が伝わってくる様でした。
二回ほど講座を開きました。
東京時代の「着付け教師」である友人が、わざわざ彼女の斬新な講座を学びたいと来てくださるほどでした。
自分でも着られることができました。義母の着物に袖を通すことができた。
義母の着物で城下町イベントでクリスタルボウルを奏でられました。
着物をたたむとき、しつけ糸をほどくとき。なんとなく義母が喜んでいる様に感じました。
義母は着物を縫い、着物を毎日着ては、大切にしつづけてきたのだなあ。
着物の端切れさえも大切に保管して、暇があれば端切れを使ってお人形を何体もつくって飾っていました。
私はやっとのことで義母の想いに触れることができました。
グループホームに入居している義父に、ときどき義母の着物をきては面会にいくと、
とっても嬉しそうな顔をしていました。本当に着付けを学んでよかったなあと実感しました。
着物を観る目が変わる
着物を着ることで気持ちが引き締まります。腰ひもを丹田で縛るからでしょうか。
重心が下がってしゃきっとします。
管理が難儀と迷惑な目で見ていた着物たち。
それが今では宝物に見えてきました。
まだ毎日、着物で過ごすという生活ではありませんが。
あれ以来、若き講師、秋田桃子さんは
「日本一ハードルの低い着付け講座」で日本各地で、ときに海を超えてドイツまで出張しまぶしいほど輝いています。
若い彼女が、私と義母の想いを繋げてくれました。感謝でいっぱいです。
2017年10月にはご縁をいただき、秋田桃子さんと一緒に岐阜FM・WATCHというラジオにゲストとして招待されました。
着物への想い、和の心を伝えたい。二回の放送で伝えることができました。
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