恵那にUターン断捨離で見えてきたもの
2015年7月 恵那の山里に転居してきた私たちが、一番はじめにしたことは
断捨離でした。
引っ越しにあたって今まで住んでいた東京府中のマンション時代の不要なものをずいぶん処分してきましたが。
義両親がかつて暮らしていた、二階建ての家にもたくさんのモノが溢れていました。
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押し入れや、箪笥、納戸など毎日、毎日、夫と汗だくになりながら近所の方に借りた軽トラック何台分もの家具、不用品、衣類、雑貨などを廃棄物センターに持ち込んでは処分しました。
みるみるうちに家のなかがスッキリしてきました。縁側のある座敷などは、床の間もありちょっとしたひなびた旅館風
高齢者施設に入居している義父がかつてお習字で書いた、自慢の書が各部屋に飾ってあったり、亡くなった伯父が趣味で描いた何点もの迫力のある風景画(何号サイズか不明ですが)さらに夫の従弟である日本画家、日下義輝が描いた風景画「奈良盆地」も玄関ホールに設置しました。
埃をかぶって仕舞い込まれた「絵」が生き生きと輝いて見えます。
亡くなった義母が、和裁の手慰みに、着物の端切れで作った何体ものお人形さんたちも飾りました。
断捨離に伴って「家」が蘇ったように感じました。こんな広い家に夫と二人だけで暮らすのです。
しかも春から秋にかけては、空気が澄んで緑が美しく鳥たちの鳴き声も心を癒してくれます。
また夜は電灯もあまりないので月や星が美しく輝き、なんだか別荘に暮らしている気分。
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都会の友人にシェアしたい気持ちが芽生える
東京の友人たちに山里の自然あふれる環境をシェアしたいね。
断捨離の末にこんな気持ちが芽生えました。
そこで簡単なリーフレットを作り、友人たちやご縁のある方々に呼びかけました。
恵那の我が家に滞在しながら山里の自然を満喫しませんか?
ゲストハウスの様に「消防法など宿泊の基準」を満たしてはいないので、そうした商業施設としては活用はできません。
友人たちを招待してここに来ていただき、ドネーションを置いて行ってもらおう。
都会を離れ、日常を離れて、静かな山里の風物を味わい、自身の心に向かいあう。そして癒されて帰っていただく。
恵那リトリートのはじまり・都会と田舎の交流の場
恵那山の「えな」という地名は、古語で胎盤、子宮を表すと言います。日本の子宮、母なる子宮に包まれて、リフレッシュして生まれ変わってほしい。
そんな意味をこめて恵那リトリートと名付けました。
一番最初にきてくださったのは、東京時代にお世話になった英会話サークルのカナダ人の先生でした。
東農牧場で牧草に寝っ転がったり、土地の名物「五平餅」を味わえる、阿木川湖畔「のんきや五平」さんでランチしたり、岩村城下町を歩いたり、花蓮の畑を散歩したり、無住寺となった徳祥寺にある大きな鐘をついて楽しんだり。
私の持っているクリスタルボウルを一緒に演奏してみたり。
お料理の得意な先生と夫が一緒に夕食を作ったり、手作り栗きんとんを楽しんだり。
両親の遺したものは信頼という宝
夢のように楽しかったと絶賛でした。
近所の村の人たちも、東京からお客様がくると声をかけてくれたり差し入れを持ってきて下さったり。
「都会」と「田舎」をつなぐ小さな交流の場ができていきました。
都会から恵那リトリートに来られた友人たちを案内してあるくと必ずといっていいほど、町の人々や村の人々に声をかけられることが多くなりました。
「最近、こっちに東京からUターンして戻ってきたんです」と夫の両親の名前を伝えると、
「ああ。あそこの息子さんね。あそこのお嫁さんね。」「あなたたちのお母さん、お父さんにはずいぶんお世話になったんだよ」と言われました。
義両親の残したモノは断捨離したけれど、ほんとに彼らが残したもの。それは信頼という宝でした。
その信頼の上に今があり私たちは地域の人々に暖かく包まれています。恵那リトリートに興味をもって下さる方。どうぞこちらのページをご覧くださいね。お申込みはフォームから。お待ちしております。
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